久世広之 生 慶長14年 (1609年)没 延宝7年 (1679年) 下総関宿藩初代藩主。1609年(慶長14)広宣の3男として生まれる。1617年(元和3)将軍徳川秀忠に拝謁。秀忠、家光、家綱のもと出世を重ね大名となる。1679年(延宝7)6月25日没。71才。法名「自證院殿心光日悟大居士」。
久世広之妻 生 不明没 寛文12年 (1672年) 戸田忠次娘。戸田忠能の養女として広之に嫁ぐ。広之との間に、女子、百助、遠山友貞妻、松平重治妻、内田正衆妻、半弥、重之、次郎助の4男4女を儲ける。1672年(寛文12)2月24日没。法名「勝證院殿定峯日禅大姉」。
久世重之 生 万治3年 (1660年)没 享保5年 (1720年) 下総関宿藩2代藩主。1660年(万治3)広之の3男として生まれる。1669年(寛文9)3月将軍徳川家綱に拝謁。父の死により1679年(延宝7)8月跡を継ぐ。下総関宿藩から備中庭瀬藩、丹波亀山藩、三河吉田藩と転封を重ね1705年(宝永2)10月再び下総関宿藩となる。1720年(享保5)6月27日没。61才。法名「眞如院殿消残露月日成大居士」。
久世重之妻 生 不明没 享保12年 (1727年) 土井利房の娘。土井重之に嫁ぎ、女子、織部、松平康員妻(離縁)、富千代の2男2女を儲ける。1727年(享保12)9月4日没。法名「圓就院殿妙頓日詣大姉」。
久世暉之 生 元禄12年 (1699年)没 寛延2年 (1749年) 下総関宿藩3代藩主。1699年(元禄12)重之の4男として生まれる。1712年(正徳2)1月将軍徳川家宣に拝謁。父の死により1720年(享保5)8月跡を継ぐ。1748年(寛延元)8月隠居。1749年(寛延2)8月18日没。51才。法名「實相院殿教海常照日住大居士」。
久世広籌 生 元禄13年 (1700年)没 享保7年 (1722年) 1700年(元禄13)重之の5男として生まれる。1713年(正徳3)将軍徳川家継に拝謁。別に家を興す。1722年(享保7)2月13日没。23才。法名「曉遠院殿芳全日純大居士」。
久世広武 生 正徳元年 (1711年)没 安永2年 (1773年) 1711年(正徳元)土井利良の3男として生まれる。久世広籌の養子となり、広籌の死により1722年(享保7)5月跡を継ぐ。1760年(宝暦10)12月隠居。1773年(安永2)1月4日没。63才。法名「法性院殿若水日休大居士」。
松平正敬 生 寛政6年 (1794年)没 天保3年 (1832年) 上総大多喜藩6代藩主。1794年(寛政6)正路の長男として生まれる。父の死により1808年(文化5)7月跡を継ぐ。1826年(文政9)9月隠居。1832年(天保3)7月26日没。39才。法名「龍雲院殿天路心斉大居士」。
松平正敬妻 生 文化3年 (1806年)没 文政13年 (1830年) 1806年(文化3)7月24日松平信明の娘として生まれる。名は厚。正敬との間に子は出来ず。1830年(文政13)5月16日没。25才。法名「鳳泉院殿英室妙俊大姉」。
加藤光泰 生 天文6年 (1537年)没 元禄6年 (1693年) 1537年(天文6)景泰の長男として生まれる。斉藤龍興に仕え、のち豊臣秀吉に仕える。山崎の戦い、賤ヶ岳の戦いなどに従う。のち甲斐にて24万石を領す。1593年(文禄2)8月29日文禄の役参戦中に陣中にて没。57才。法名「曹渓院殿剛園宗勝大禅定門」。